烈風 野口佐武郎と肖像達
野口佐武郎 大正8年 満州奉天市生まれ(日本の自動車関係のテクニカルイラストレーションの草分け)
中学校時代藤田嗣治と出会い画家を志す 昭和18年軍の命令により複数の上官の肖像画を制作する。 同年,仲間と共にブーゲンビル島攻防戦要員となり硫黄島に出陣する事を望んでいたが絵画の技量が必要との理由で強制的に部隊から外されて衝撃を受ける。復員後満州から引き上げて来た五人の家族を養うため横浜で進駐軍専属の似顔絵画家として家計を支える。その後日野自動車専属アーチストとなり自動車BIG3の宣伝物を研究するべく渡米しスーパーリアリズムの技法を用いたイラストレーションを研究帰国後多くの広告でカーイラストレーションを制作する。昭和63年イラストレーター養成学校STUDIO OF ARTISTS設立。多くのイラストレーター,デザイナーを輩出する。平成19年没。
プロローグ 出会った瞬間ごく稀に,これはどうしても撮りたいと思う顔がある。野口佐武郎はそんな僕の妄想に強烈に応えてくれた。単純に格好よくて憧れた。ずっと後になり彼の自分史を読んだ。 中学生の頃藤田嗣治に出会い戦後絵の勉強のためフランスに渡ろうとするが家族の為に筆ひとつで稼ぐ事に奔走し生涯を捧げたと言うものだ。それは実に爽やかなエッセイでありこれは本物のクリエイターだと思った。ポートレイト以外にこの気持ちを写真にするすべはないだうかと考えていた。
お互いの妄想が一致したような心地よい撮影だったが二人とも終着点が見えない事にボンヤリとしたまま月日が経った。数少ない撮影のある時予期しない野口佐武郎を見る事になる。偶然居合わせた人と彼に一陣の風が吹く,とっさにぶら下げていた中版カメラで光景を追う。 ポートレイトを撮ることで見ていた夢が,このハプニングによってあのエッセイの中の野口佐武郎となってそこに現れた。
ポートレイトとドキュメンタリー 先生は出来た写真で自画像を描く。僕は自分をだぶらせる。終着点が見えないのは永くポートレートはパーソナリティーを引き出す事と思って来たからだと思うけれど、ある程度の歳になると顔そのものにそれが表われる。向き合っているのに互いに自分を見ているこの撮影は予期しない出来事によって全く違う意味を持つ写真になった。
先生はこの撮影を大変面白がっでくれて,次の打ち合わせをした後平成19年この自画像を完成させ他界された。享年88歳。
今回の写真展では普段お世話になっている方のみならず昔から先生のカーイラストの大ファンだったと言う方や多くの卒業生の方に見て頂けた事
が本当に嬉しく思います。野口三武郎自伝の戦後米軍キャンプの前に似顔絵描きのキャンパスを立てた姿はプロフェッショナルクリエイターの原
点だと思っています。この姿を頭の片隅に今後も活動して行きたいと思います。ありがとうございました。
絶筆
今回のモノクロから描かれた自画像 最後まで筆を入れていたと言います
未完成とも,サインがあるため完成という意見も多い。